座右の銘とまではいかないけれど
座右の銘とまではいかないけれど、
私にとってふと思い出しては噛み締める言葉がいくつかあります。
それは身近な人の言葉だったり、歌詞だったり色々ですが。
折にふれて取り出して、自分の中で噛み締めて、また大事に胸にしまっておく。
そんな言葉。
今日またふっと頭をよぎったので、
今までにも何度かサイトの日記に書いたりしているけれど、
ここにも書きとめておきます。
「ひとつひとつ、やれるようになっていけば出来るよ」
なんでそんなに色々出来るの?と聞いた私に伯父が答えた言葉。
もひとつオマケに
「人間暇なときはロクなことを考えない」
も付け加えておく。
「日々進歩してようやく停滞。人より進歩しようと思ったら人の三倍頑張らないと駄目」
昔からの友達の言葉。
「絵を描くっていうのは馬の鼻面にぶら下げた人参を追う様なものなんだ。
そしてきっとその人参は一生食べられない」
絵描き友達の言葉。
自分が進んだ分だけ理想も進む、でもだからって追うのをやめられないよね。
「ピアノの鍵盤の数は決まっている。無限なのはそれを弾く人間だ」
映画「海の上のピアニスト」の言葉。
私はいつもこれを紙の上に置き換えてしまう。
「そんな風に求めてばっかりじゃ魂も枯れちゃうわ」
「わたしが思うよりもずっとわたしの空は広がってるんだわ」
ジュリマリの「散歩道」の歌詞。
この言葉たちを取り出すのは自分に発破をかけるとき、自分への戒めのため、その他思い浮かべるときは色々、いろいろ。
何故かあまり絵描いてないときより、絵をバリバリ描いている時の方が
自分の画力に対する無力感が湧いてくる。
描けば描くほど如何に自分が描けないかを思い知る。
そういうとき、一足飛びには上手くなれないけれど、ひとつずつやれるようになれ、とこの言葉たちを噛み締める。
その反面、実現しない最善ならば、実現できる次善の方がいい、という逃げ道も自分に用意してる私はずるいだろうか?
まあ、具体的にはCGは苦しくて描けないけど、水彩なら楽しいからちょっとやれそうな気がする場合、いくらCGがベストでも私は水彩で描くよ!って感じなんですが。
多分、描かないより絶対にいいはず。
なにもしないより、不完全でもやればやっただけのことはあるはず。
出来そうな余力のあるときは全力で苦手にも立ち向かえばいいけど、とりあえずは楽しんでやりたいなあ。
楽しめることじゃなきゃ、やりたくないなあ…。
この思考の迷路をここんところずっとぐるぐる迷ってるんだけど、
何度チャレンジしてもCGへの苦手意識だけは克服できない…。
水彩、楽しいです。←